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051.南海浜寺公園駅舎

 南海電鉄浜寺公園駅舎です。

浜寺公園駅舎

 1907年建築。設計は、東京駅や日銀本店を設計した辰野金吾が片岡安と設立した辰野片岡建築事務所。国の登録有形文化財です。ちなみに、線路側はこんな感じになっています。

浜寺公園駅舎(線路側)

(撮影:2004/01/10)

<参考資料>

  • 南海の駅 1980年 南海電気鉄道株式会社総務部広報課
  • 民営鉄道の歴史がある景観I 佐藤博之・浅香勝輔 1986年 古今書院
  • 日本の駅舎 杉﨑行恭 1994年 JTB
  • 現地記念碑


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コメント

自己コメントです。この浜寺公園駅舎は線路高架化工事の支障となるため、お隣の諏訪ノ森駅舎と共に堺市による保存・活用の検討が予定されているそうです。

投稿: 声高 秀史 | 2007年6月15日 (金) 21:04

歴史的な価値にふさわしい保全活用を呼びかけています。後世に悔いを残さないような保全活用をよろしくお願いします。

投稿: 明治建築研究会 | 2007年7月15日 (日) 10:28

建設は地元の岡田組の岡田喜蔵(安政2年生まれ)で、岡田は、旧浜寺停車場(明治30年竣工)、旧浜寺公会堂(同41年竣工)などを建設したと聞いています。南海関係の工事を手がけたそうです。明治40年の2代目の浜寺公園駅舎に関わったかどうかは分かりません。 明治建築研究会。

投稿: 明治建築研究会 | 2011年3月24日 (木) 14:11

建設は地元の岡田組の岡田喜蔵(安政2年生まれ)で、岡田は、旧浜寺停車場(明治30年竣工)、旧浜寺公会堂(同41年竣工)などを建設したと聞いています。明治期に、南海関係の工事を手がけたそうです。明治40年の2代目の浜寺公園駅舎に関わったかどうかは分かりません。

 南海関連の駅舎を、手がけていたと聞いていますので、現在の浜寺公園駅舎も、関わったのではと考えています。南海の歴史は古いので、資料が残っていれば、有難いのですが。昭和40年代まで?、高石市に、移設されていた旧難波駅舎の写真も残されていました。明治建築研究会。13・11・08.

投稿: 近現代史研究会  | 2013年11月 8日 (金) 21:43

時事問題tw20・03・11
1」近年の日露戦争勝利の評価は厳しいものがあるが当時の日本は戦勝ムードに酔いしれた。明治末に日露戦争の戦勝を記念して多くの施設が建設された。仮設の凱旋門だけでなく工業学校、図書館など戦勝記念として各地で建てられている。ロシア人捕虜収容所近くの旧浜寺停車場も同様に建設したものと推測!。

2」資料はないが小生は、旧浜寺停車場は、日露戦勝記念のために建て替えたと推測。東京駅も、日露戦争における日本の勝利で国民感情が盛り上がり一挙に駅舎の規模が拡大。それまで予算は65万円と見積もられていたのが一挙に250万円とし、総3階建て構造にする方針が明治40年に報じられている。明治建築研


3」戦勝記念としての旧浜寺停車場の建設計画は、日露戦争の浜寺捕虜収容所の建設と、監視の為の軍隊の駐屯の写真を見てからの推測である。明治30年に建てられた駅舎を40年に建て替えるのに戦勝記念が大きな意味を持ったのではないかと考えられるのである。建築史家の先生にも一部賛同を得ています!。


4」外観は美しいハーフチンバー(木骨真壁造り)で、正面の列柱は、珍しいとっくり形の柱。あまり知られていないがこのとっくり形の柱は、欧化主義が広まり国賓や外国の外交官を接待するため、明治政府によって建てられた社交場・鹿鳴館(明治16年竣工、設計コンドル)に使われた柱を思わせる柱列です。

初代の旧浜寺停車場の建設は、地元の岡田組の岡田喜蔵(安政2年生まれ)。岡田は、旧浜寺停車場(明治30年竣工)、旧浜寺公会堂(同41年竣工)などを手がけたの伝聞が。南海関係の工事を手がけたので明治40年の2代目の浜寺公園駅舎(設計は辰野・片岡建築事務所)、施工は岡田組ではないのかと推測しています。明治建築研究会。

投稿: 明治建築研究会  | 2020年3月14日 (土) 20:08

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