109.旧淀川貨物駅への廃線跡
1985年に廃止された、城東貨物線から旧淀川貨物駅(旧淀川電車区)への廃線跡です。

上の画像は、新京橋商店街(京街道)との交差地点を、城東貨物線側から淀川貨物駅方向に向かって撮ったものです。最近、遊歩道として整備されたようで、付近には記念モニュメントが設置されていました。
画像の記念碑部分をクリックすると、別ウィンドウで碑文のアップが表示されます。なお、碑文には“昭和57年(1982年)に廃止”とありますが、実際は淀川貨物駅廃止後も残った淀川電車区への出入庫のため、昭和60年(1985年)まで使用されていました。
(撮影:2005/09/17)
<参考資料>
- 桜島線と大阪臨港線〈改訂版〉 森口誠之 1993年 大阪市立大学鉄道研究会「くろしお」28号
- 鉄道廃線跡を歩くIII 宮脇俊三編著 1997年 JTB
- HP:通票よんかく>駅になった信号場・今はなき信号場一覧 関西・紀勢線
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コメント
管理人様。
新京橋商店街の踏み切りの写真、拝見しました。ありがとうございます。
この踏切の角に、当時もたぶん現在も中華料理店があって、食事をしながら汽車を見るのが楽しみでした。
汽車はそんなに頻繁に走っていたわけではないので、時刻を見計らって行きました。
このような場所で、しかもゆっくり走るので、ワムの貨車も大きく見えたものです。
記憶モードですが、汽車の走らない時間帯では、線路側の扉を閉めて、線路内を不法通行させない様になっていたと思います。
投稿: 有閑人 | 2005年10月14日 (金) 06:43
有閑人さん、こんばんは。
中華料理店で食事をしている横を貨物線の汽車が通るなんて、なんだか昔の映画のワンシーンみたいですね(^_^)。オンライン地図ソフトで見ると、踏切の南東角に「京橋会館」というのがありますが、これが件の店でしょうか。
踏切の線路側にも扉があったようだとのことですが、これを開閉するために、やはり職員が常駐していたんですかね。上の画像で交差地点の手前左側にスペースがありますが、これが踏切小屋跡でしょうか。
投稿: 声高 秀史 | 2005年10月15日 (土) 22:34
声高さんこんにちは。
中華料理店は道路の北側だったことははっきり覚えていますが、北東側だったか北西側だったかについては記憶が曖昧です。
汽車の通過時刻になると職員が自転車で来て扉を開閉していました。
画像の手前のスペースの目的は何かはっきりしません。
牽引機は吹田区のナメクジ・デフ無しのD51で、淀川貨物駅に入線する時はバック、貨物駅から出発する時は正面方向でした。
淀川貨物駅構内の入換機は1969年当時はたしかDD13だったと思います。
投稿: 有閑人 | 2005年10月16日 (日) 18:12
有閑人さん、こんばんは。コメントをどうもありがとうございました。
中華料理屋は道路の北側だったんですか。それと、扉の開閉には職員が自転車でやって来たとのこと。いくら当時の国鉄でも、たまにしか通らない汽車のために踏切警手を常駐させることはしなかったのですね。
淀川貨物駅の入換機はDD13でしたか。中規模の貨物駅ということで、移動機の類はいなかったようですね。ちなみに玉造(地上の貨物ホーム)には移動機がいたそうです。
投稿: 声高 秀史 | 2005年10月19日 (水) 22:15